【読書ログ】動的平衡〜生命はなぜそこに宿るのか〜

新版 動的平衡

福岡伸一 著 小学館新書

2017年初版 2020年第15刷

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この本の出会いはお寺さん。

とある法要の機会に住職さんが引用されて、興味を持ちました。

【感想】生命のありようが、可変的でサスティナブルって本当にその通りだなぁと.

身体は分子レベルでどんどん入れ替わってる これってテセウスの船を思い起こさせる現象。入れ替わっても本質は変わらないので同じ人ですね。でも 色々なこと 時間が解決するよとと良く言います、あれ 言い得て妙ですね。全ては入れ替わっていくから、くよくよしてもしょうがないのね。

 

身体のメンテナンスを機械論的に考える対処療法って とても 不確実なものだなと感じた。自己免疫とか自然治癒力ってすごいですね。また食べることを疎かにしないようにしたいと改めて実感。

 

また、、いまSDGs で目標化されていることも、サスティナブルのあり方も、いかに可変的に対応するか、が大切で かちっとさだまったフレームワークだけでは永続しないんだなと。

 

〜以下 印象に残ったことの備忘録〜

序章より

なぜ学ぶことが必要なのか

「私たちを規定する生物学的制約から自由になるために、私たちは学ぶのだ」



よく私たちは、脳のほんのわずかしか使っていないなどといわれるが、実はそれは世界の有り様を「ごく直感的にしか見ていない」と言う事と同義語だ。世界は私たちの気づかない部分で、依然として驚きと美しさに満ちている。


第8章

生命とは何か

この永遠の問いに対して、様々な回答が試みられてきた。DNAの世紀だった20世紀的な見方を採用すれば「生命とは自己複製可能なシステムである」との答えが得られる。
確かに、これはとてもシンプルで機能的な定義であった。

しかし、この定義には、生命が持つもう一つの極めて重要な特性がうまく反映されていない。それは、生命が
「可変的でありながらサスティナブルなシステムである」と言う古くて新しい視点である。


生命が分子レベルにおいても循環的でサステイナブルなシステムであることを最初に見たのはルドルフシェーンハイマーだ。
この生命観の コペルニクス的展開 は今ではすっかり忘れ去られた研究成果である。
アイソトープアミノ酸に標識をつけそれを食べた後をトレースすると、
もともとの体を構成していたタンパク質は約三日間のうちに食事由来のアミノ酸に置き換えられていた。

「個体は、感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思える。しかし、ミクロのレベルでは、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかないのである。」

私たちの体は、分子的な実態としては、数ヶ月の前の自分とは全く別物になっている。分子は環境からやってきていっとき、淀みとして私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと、解き放たれていく。

つまりそこにあるのは流れ そのものでしかない。

その流れの中で、私たちの体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」と言うことなのである。シェーンハイマーは、この生命の特異的な有り様をダイナミックステイト(動的な状態)と呼んだ。私はこの概念をさらに拡張し、生命の近郊の重要性をより強調するため「動的平衡」と訳したい。

英語で記せばdynamic equilibriumとなる。

 

p262

ここで私たちは改めて「生命とは何か?」と言う問いに答えることができる。「生命とは動的平衡にあるシステムである」と言う回答である。

そして、ここにもう一つの重要な刑事がある。それは可変的でサステイナブルを特徴とする生命と言うシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」であると言うことだ。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。サステイナブルである事を考えるとき、これは多くのことを示唆してくれる。サステイナブルなものは常に動いている。その動きは流もしくは環境との大循環の話の中にある。サステイナブルは流ながらも環境との間に一定の平衡状態を保っている。一輪車に乗ってバランスを保つ時のようにむしろ小刻みに動いているからこそ、変更を維持できるのだ。サステイナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し自分を作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる。このように考えるとサステイナブルである事は、何かを物質的制度的に保存したり死守したりすることではないのがおのずと知れる。サステイナブルなものは、一見普遍のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。その奇跡と運動のあり方を、ずっと後になって「進化」と呼べることに、私たちが気づくのだ。

 

 

エントロピー増大の法則

秩序あるものはすべて乱雑さが増大する方向に不可避的に進み、その秩序はやがて失われていく。ここで私が言う秩序は日あるいはシステムと言い換えても良い。

生命はそのことをあらかじめ折込、1つの準備をした。エントロピー増大の法則に先回りして、自らを壊しそして再構築すると言う自転車操業的なあり方つまりそれが「動的平行」である。長い間エントロピー増大の法則と追いかけっこしているうちに少しずつ分子レベルでは損傷が蓄積し、やがてエントロピーの増大に追い抜かれてしまう。つまり秩序が保てない時が必ず来る。それが個体の死である

従って、生きている とは動的平衡によってエントロピー増大の法則と折り合いをつけていると言うことである。言い換えれば時間の流れにいたずらに抗するのではなく、それを受け入れながら共存する方法を採用している。